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うつ病体験 in Chicago #3

回復のきっかけ:

回復のきっかけは意外なところから現れた。それは自作の8ミリ映画だった。
当時はアートスクールで実験映画、写真、シルクスクリーンを受講していた。
私にとって、この学校は学生に必要な場所と機材と教師を提供し、自由な勉強の機会与えてくれる理想的な学校だった。この自由な雰囲気に触れて、学校とはこうあるべきだと思った。
また、先生に自作が認められ、初めて学校が楽しいと思った。

私が無意識に求めていたものは、自分に合った表現手段と表現の場だった。もともと口下手で引っ込み思案だったので、言葉以外の表現手段に恵まれたことは、正に人生の大転換だった。
そして、それがうつ病回復のきっかけになった。

その当時製作していたフイルムは、レンガの壁をどんどんズームアップして、最後はレンガ一枚のクローズアップがグッと静止した状態でで終る予定だった。
ところが、現像から上がってきたフイルムを試写してみると、クローズアップが完了し、画像が静止する直前に、突然真っ白になっていた。つまり、このシーンはフイルムの最後尾に撮影されていた為、光が入って透明になってたのだった。(注:ネガフイルムなら光が当った部分は黒くなるが、ポジだから透明になる)

意外な失敗に当初はガッカリした。
しかし、次の瞬間「あっ、壁を抜けた」と思った。
このとき初めて、何でこの壁を撮ってたのかが判った。
つまり、それは自分の心の壁だったのである。

この出来事を期に、急に気持ちが明るくなり、うつ病は治ってしまった。なんとも信じられない治り方だった。

なぜこんなに簡単に治ったかというと、多分、うつ病の原因が精神的ストレスだけで、身体的な問題がなかったからだろう。
また、薬があることさえ知らなかったから、薬の副作用や離脱症状に苦しまずに済んだ。その上体調回復も早かった。
これは無知が幸いした好例だった。しかし、状況次第では死んでたかもしれない。とにかくラッキーだった。

この体験で学んだこと: 
この経験で得た最も大きな収穫は、この危機を自力で乗り切ったことで、今後同様の危機に見舞われても自分で乗り切れる自信が付いたことだった。

シカゴには5年間住んでいたが、うつ病が治った直後にニューヨークへ移転した。お金は底を突きかけていたが、気分は高揚していて、引っ越すには好都合だった。

その後ニューヨークでの十数年間は快調だった。
ところが日本へ引き揚げた後、また鬱になってしまった。
今回は文化ショック、転地・転職のストレスに加えて、歯の治療に伴う耳鳴り、難聴、めまいなど、肉体的な要因が重なり、回復には数年かかった。しかし、この場合も病院や薬の世話にならず、自力で回復した。

これらの体験に照らして言えば、薬で誤魔化すことがうつ病を長引かせている訳で、自分の発症要因に合った、適切な対策を実行すれば、うつ病は意外に簡単に治る病気だと思う。
このブログ内に、あなたに合った方法がこの見付かることを祈ります。

「うつ体験日本編」は後日掲載予定です。


失恋後日談:
彼女とは文通していたが、日本へ一時帰国した際、自作映画の上映会に招待したら観に来てくれた。その数年後彼女が仕事でニューヨークへ来た際にも再開した。しばらくして彼女は結婚し、二児の母となった。その後も交流はあったが、私が帰国した頃から音信不通になり、現在交流はない。いまは恋愛感情抜きで、会いたい人の一人である


今日の順位を見てみよう。コノエ → 



フイルムの再構成版↓

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テーマ : うつ病(鬱病)、メンタルヘルス
ジャンル : 心と身体

tag : うつ病

うつ病体験 in Chicago #2

初めての方は#1からご覧下さい。

自殺衝動:
この時期の最も深刻な悩みは自殺衝動だった。
時々、もう一人の自分と真剣で切り結んで押し合っている気がした。
一瞬でも気を緩めると、相手の刀が肩口に食い込んできそうだった。
緩めたら最後だと思った。
また別の時は、井戸かコップの中を覗き込んでいる自分がいて、
背中をちょっと押せば奈落へ吸い込まれていきそうな気がした。

私の場合、死にたかった訳ではなく、時々、否応なしに死の衝動が襲ってくるのだった。
あっちの世界へ行ってしまったら、戻れないと思った。
死はすぐそこまで迫ってたが、とにかく必死に踏ん張った。

当時はうつ病という言葉さえ知らなかった。
これは生まれて初めてのIDENTITYの危機であり、
乗り越えねばならない精神的な試練だと思った。
当然精神科へ受診することも無かった。
幸い死ぬには至らなかったから、結果的にこれは正解だった。

回復編へ続く

今日の順位を見てみよう。コノエ → 


当時の自写像↓

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tag : うつ病 Chicago シカゴ 自殺

うつ病体験 in Chicago #1

渡米後3年目シカゴでのこと。当時20代後半。

発症要因:
失恋、失業、異国での生活と言葉の不自由さなど。

失恋とはいっても片想いだった。
ある女性と知り合ってまもなく、彼女の母が脳腫瘍になり彼女は日本へ帰ってしまった。
彼女は日米のハーフで日本語の手紙が書けなかったし、私もマトモに英語が書けなかった。拙い英語で手紙を書いたが、クリスマスカード位しか返事は来なかった。
真心を尽くせば通じると信じていたが、言葉が暗闇に吸い込まれていくように虚しかった。
当時は恋愛は真心だけじゃどうにもならないんだということに気が付かなかった。また、母親の看病をしてる彼女の気持にまで気が回らなかった。

対人恐怖症:
彼女が帰国してまもなく、勤めていた現像所を首になった。
仕事がヒマなとき現像所の天井のペンキ塗りを頼まれたが、「私は現像所員として雇われたのであり、ペンキ屋じゃありません」と言って断ったからだった。私の時給よりペンキ屋の時給の方が高かったし、仕事の不満も溜まっていた。首になっても悔いはなかった。

その後失業手当の申請に行った。日本では失業保険をもらったことはなく、これが初めてだった。失業保険事務所の前には長蛇の列が出来ていて、寒空に粉雪が舞っていた。
惨めだった。気が滅入った。

幸い失業手当は毎週小切手で郵送されてくるようになった。
ところが、それには求職活動に付いての質問表が付いていて、記入して返送しなければならなかった。
幾つかの質問の中に「あなたは先週仕事を探しましたか?」という項目があった。
探してなんかいなかった。日系人企業に勤めていたから、英語が上達しなかったし、気分が落ち込んでそんな気力はなかった。
毎回「はい」と答えて出したが、ウソをつくのが次第に苦痛になってきた。
そのうち外出時に失業保険事務所の人に尾行されているような気がした。
親しい友人とさへ会いたくなくなった。遂には友人から電話があっても、訪ねてくるのを待っている間は不安で落ち着かなかった。でも一旦会ってしまうと楽しいのだから矛盾していた。

余談:(ロンドン留学中の漱石も「探偵恐怖症」やうつ病だったらしい)
(後年ニューヨークで失業保険をもらった時は、質問がコンピューター化されていて、コンピューターに電話してYesかNoに該当する番号を押すだけで済んだ。しかし、NYは失業者も多いから、電話が混み過ぎていて、真夜中か早朝でないと繋がらなかった)

次回へ続く


今日の順位を見てみよう。コノエ → 


当時の写真↓

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tag : うつ病 自殺 失恋 失業 対人恐怖症 シカゴ

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